暑さで集中できない 環境を整えるといいかも

暑さでバテ気味。

 

何をするにもやる気が。。。。職場は涼しいので、仕事はきっちりこなしています。毎週行っている野菜を買いに無人販売所をまわるサイクリングも身の危険を感じます。もう、暑すぎてどうにも。

 

趣味もやる気が出ません。勉強も手につきません。はやく涼しくならないかなあと思う毎日です。家にいると、家のことが気になり集中できないし。集中できるように物を少なくしてはいますが、気になりだすとつい、動いてしまいます、疲れるとついゴロンとしてしまいます。

 

先日、ファミリーレストランでゆっくりしたことがあり、その時は読書がはかどりました。ドリンクバーを利用しながら、読書は快適でした。空いている時間帯を選んで行ったので、集中できました。家のようにゴロンとすることもできないので、これはいいと思いました。

 

近所に図書館があればいいのですが、ちょっと離れたところにあるので行きにくいです。図書館にはもう何年も行っていないので、次の休みに、試しに行ってみようと思います。集中できる環境は大切だと思います。

雑談が新鮮 世界が変わった?

他の事業所の人たちと集合研修。

 

コロナ禍のため実施されていなかったものが、数年ぶりに実施されました。リモートで会うことはあっても、リアルで会うことは初めて。変な感じでした。話をしたことあるのに初めまして。

 

ようやくリモートでの研修や会話に慣れてきたところ。そうは言っても、リアルで話をする方が、話しやすいですね。

 

画面を見るだけでなく、一緒に体を動かしたり、体験できるのはリアルならでは。ただ、その場所に行く時間がもったいないとは思いまが、実技を伴うものはリアルに勝てないと思います。

 

リアルの方が一体感というか、相手に対して親しみがわく感じがします。リモートではなんかさみしい感じがします。

 

リアルでは休憩時間に情報交換したり、お悩み相談など、直接研修に関係しないことも話をすることが出来るのもいいですね。昔はリアルが当たり前で、それが新鮮とは思ったことがありませんでしたが、リモートが当たり前となると、逆に雑談が新鮮に思えます。世界が変わったんだなあと思いました。

話を聞いてもらえると気持ちがいい

久々に上長に仕事の話を聞いてもらいました。

 

なかなか忙しくて時間を取って話をすることがなかったのですが、期せずして時間を取ることが出来ました。現状を話し、過去はこうで、対策を取った結果がこうで、これからはこうしたいと熱く語ってしまいました。語ると気持ちがいいものですね。

 

仕事、頑張ろうと思います。ただ、語っておしまいではなく、行動に移さないと。

 

同僚たちからどうでもいいことで話しかけられることが多々あります。時間泥棒だなあと常々思っています。

 

ですから、なるべくこちらからはどうでもいいことで話しかけないようにしています。逆に考えると、同僚たちが話してくることは本人にとっては重要なことなのだろうか?

 

「昨日はこんな嫌なことがあったの。」とか「○○(業務外)のことについてどう思います?」とか聞かれても、心の中では「どうでもいですよ。」と思ってしまいます。表面上は「大変だったね。」、「いいんじゃない。」と答えていますが、ついイラついてしまいます。

 

これからは、話を聞いてもらった同僚たちが気持ちが良くなって、作業効率が上がればいいと思うようにして、自分の心を落ち着かせるようにします。

習慣化でストレスを感じる

筋トレ中に背中を傷めてしまいました。

 

大したことはないと思っていたのですが、だんだん痛みが強くなってきました。仕事も集中してできません。動けないわけではないのですが、体をひねったり、手をあげると痛みが出ます。

 

まあ、痛みに対して大してストレスとは感じていませんが。ただ、ジムに行ってトレーニングができないことがストレスに感じてしまいました。

 

ジムに行ってトレーニングすることが習慣になっているので、それができないことでストレスを感じています。習慣になっていることが出来ないということはストレスになるのだと実感しました。トレーニングが習慣化されていることは喜ばしいことです。

 

無理して悪化させないよう注意します。

健康情報も戦っている

健康情報を検索するようになってから、おすすめのニュース記事に健康情報、食事、筋トレがたくさん出るようになりました。興味をそそられてついつい見てしまいます。うまくできていますね。

 

そのような中で、○○が良いと言われていたが、実は効果ないとか、寿命を縮めるといったような相反する情報をよく見ます。すべてを鵜吞みにせず、自分で試してみて、自分に合うか合わないかで、継続するか、止めるか決めています。

 

やりすぎも体に良くないのだろうと思います。体に良いものも、摂りすぎは逆効果。極端になりすぎず、楽しみながらできるものが良いのではないかと思います。

 

あふれる情報の中から自分の記事を読んでもらうために、目を引くタイトルを付けたり、突飛な内容にしたいのだろうなあ。苦労しているんだろうなあとも感じます。混乱させようとか思って書いているわけではないと思います。情報の海の中で戦っているんだろうなあ。

 

感情が人を動かす なるほど

ユダヤ人大富豪の教え ふたたびアメリカへ篇」本田健著を読みました。

 

感情が人を動かし、その感情は関係を持つ相手によって変わってくるという。人間関係のマトリックスというものがあって、マトリックス上で感情は動いていくのだと。相手によって感情を動かされたり、逆にこちらが相手の感情を動かしたり。その感情が相手とは対極にいくようになっているとのこと。この人の前だと、なんか委縮してしまうなあとか、あの人の前だともどかしくてイラっとしてしまうとか、この本を読んで原因が分かった気がします。

 

相手がどんなふうに思っていて、自分がどう思っているのかを意識して、極端な感情にならないよう気を付けながら、人間関係を構築していこうと思います。

 

感情には良いも悪いもなく、行動の原動力になるとのこと。嫌な感情でもそれを避けるための原動力にできると。なるほどなあ。

 

久しぶりに紙の本を読みましたが、紙の方が頭に入る気がしました。普段は電子書籍スマホで読むことが多いです。紙の本は読み終わると邪魔になるので。

自分のせいにしたらいろいろ解決できるようになった

少し前まではいかに自分の責任を回避するかに苦心していました。

 

自分は悪くない。責任なんてないから。そんな風に仕事を進めていました。ひとまかせ。

 

責任を取るということは、失敗に対して何かの対価を支払うことだと思っていました。私はケチなので支払うのは好きではありません。

 

何かの本で、「自分のせいにすると問題を解決できるようになる。」とかいてありました。人のせいにしていては解決できる問題も解決できない。その人が動いてくれる保証はないし。確かにそうだなと思いました。

 

自分が問題に向き合い、解決策を考え、実践する。それがうまくいくか、いかないかチェックする。うまくいくまで改善策を考え、実践する。その流れで仕事をするようになりました。すると、解決できることが増えてきました。解決できると仕事に対する意欲も上がります。問題に対する解決能力も上がった気がします。

 

責任を取るということは、うまくいく、目標達成するまで改善し続けるということなのではないかと意識が変わりました。